第13話 Pas à pas
ここは 南仏サントロペ。
モナコ公国プリンス・アルベール2世後援の
舞踏会BAL DE L'ETE の装花のために来ている。
依頼してくれたのはイタリアの由緒正しき貴族の家柄である
コロンナ家のプリンセス・キャサリン。
世界中からジェットセッターたちが集まるようなパーティだ。
そして今回も装花を担当したアーティストとして、
キャサリンは舞踏会のディナーにおれを招待してくれ
多くの参加者たちから称賛の声をもらった。
参加者たちも華やかな会場をとても喜んでくれていた。
この仕事は、オープンしてすぐのころ、
パリ店のウィンドウを通りかかりにみたキャサリンが
こんな仕事があるけどできる?
と聞いてきてくれたのがはじまりで、今年は2年目となった。
はじめて担当した去年は、パリで行われた。
会場は大統領官邸であるエリゼ宮の並びにある
アンテラリエという社交クラブ。
下見に行きたいと言ったら
ちゃんとジャケットとタイをしてきてねと言われた。
伝統のある社交クラブの壁に描かれていた
藤田嗣治の絵からしばらくの間、目が離せなかった。
キャサリンは、例年花を飾る場所を一通り案内したあとに
でも、あなたの好きなようにしていいわと言った。
このときもたくさんの人に喜んでもらい、
自分の中でも最高の装花ができた。
パリ店をオープンしてから1年半。
日本では経験できなかった
たくさんの仕事をさせてもらっている。
BAL DE L'ETE ともうひとつの自慢の仕事が
パリの5つ星ホテル LES BAINS PARIS への
アボンヌモン(定期契約装花)だ
1980年代、世界中で一番クールなクラブは、
NYのスタジオ54かPARISのLES BAINS DOUCHES だと言われていて
デヴィッドボウイやミックジャガー、
アンディ・ウォーホル、グレイス・ジョーンズなどが
足繁く通っていた伝説的なクラブ
LES BAINS DOUCHES が改装され
LES BAINS PARISというホテルに生まれ変わったことは
パリのおしゃれな大人たちの話題になっていた。
そんなレバンの新オーナー、ジャン=ピエール・モロワは
もともとは有名な映画プロデュサーで
日本だと有名なのは トラン・アン・ユン監督で
イ・ビョンホンやジョシュ・ハートネットと木村拓哉が共演した、
『I COME WITH THE RAIN』 のプロデューサーでもあった人。
なんとそのジャン=ピエールが
俺にパリの物件を見つけてくれた
ジェロームの友達だというではないか。
ホテルがオープンしてすぐに、
ジェロームは俺をレバンにディナーに連れて行ってくれて、
ジャンピエールを紹介してくれた。
その日はフラビュラスを渡し、
挨拶を交わしただけだったが、数ヶ月後連絡があって、
ホテルに花を飾ってほしいと声をかけてくれた。
芦屋の店をオープンしたころ、
おれはジュルジュサンクのフォーシーズンズホテルに
花を飾るジェフ・リーサムの仕事を見て
こんなかっこいい世界があるのかと思って
何度も何度もその本をみていて、
店の飾り棚にもその本を飾ってあった。
パリに店を出したいと思い始めたときに
パラスと呼ばれる5つ星ホテルよりも
格上の数カ所しか認められていないホテルに
花を飾るようなフローリストになりたいと思った。
パリにきてみるとパラスと呼ばれるホテルももちろん素晴らしいんだけど、
パリの人たち目線でかっこいいホテルというのは、
こういうレバンのようなホテルなんだなぁと思うようになった。
そんな最高の空間にさっそく花を飾れるようになったのだ。
しかも、ジャンピエールもキャサリンと
同じように俺を業者としてではなく、
アーティストとして迎え入れてくれて
あちこちを案内してくれたあと、
どこに飾ってもかまわいないし、
アツシの好きな花を飾ればいいと言ってくれた。
彼らにとっては、花を選ぶ場合は、
花そのものを選ぶのではなくて
フローリストを選んでいると思う。
フローリストというクリエイターの存在は
花と同じように、もしかしたらそれ以上に
しっかりと尊重されているのだ。
これはパリのフローリストたちの多くが
しっかり自分たちのテイストを打ち出しているという部分もあると思う。
こういう部分もまだまだ日本では俺たちの力不足な部分がある。
素材も、職人の技術も、日本のフローリストは
もうパリのフローリストたちと肩を並べるか、
それを超えるようなところまできている。
日本でつくられる花は繊細で、とても綺麗に梱包され、
傷一つない状態で入荷するものが多い。
市場に並ぶを花の輝きをみるとハウスでそだった花の光沢に感動する。
それに対して、パリの花は自然で育ったものの
力強い躍動感や、オランダの技術のなかで育ったものが
陸路で水に浸かったまま届いてるという
利点のある大きさや安さもある。
写真集フラビュラスでみてもらっている、
普段の贈り物としてお客さんが買ってくれる特別な花束の
写真作品としてコラージュするような
花のバリエーションを求めると日本のほうがよい作品ができる。
それに対して、空間を飾る。ということにたいしては、
まず素晴らしい空間が多いこともあるし、
花の自然な躍動感、大ぶりな花が安く大量に手に入ることもあり、
パリのほうがいい仕事ができる。
そのどちらもをうまく取り入れて融合させてアイロニーの花を高めていく。
世界中の人たちにアイロニーの花を楽しんでもらう
コンテンツをもっと沢山みつけること。
それが、アイロニーが目標に掲げる 世界一好きな花屋 に
一歩近づくことかもしれない。
いろんな仕事をやらせてらえるようになっても、
相変わらず、パリに店を出すということと、
綺麗と思える好きな花だけを束ねて仕事していくということは
まだまだいろんな戦いの連続だ。
いつまでたっても、どこまでいってもそれはかわらないかもしれない。
それでも、15年やり続けて、
いまだに仕入れを行くときに眠い目をこすりながら
どんな花があるかなとワクワクする
これとこれを束ねたらどんなブーケができるかなとワクワクする
そしてなにより、これをあの人が受け取ったときに
どんな顔をするだろうとワクワクする。
そんな仕事に巡り合えたことに感謝すべきだし
これからもそうやって毎日を暮らしたいと切望している。
みなさんに気長に待っていただいて、
読んでいただいたAVEC DES FLEURS
今回で最終話となります。
はじめは、パリ進出の裏話と絡めて、
人が花を贈りたくなるような話をと書いていたけど
読み返してみると自分の花のことばかりだったと反省しています。
より多くの人に花を贈ってもらうために、
おれもアイロニーもまだまだ自分を磨かなければいけない途中なのだと
いうことだと思います。
これからも、自分たちの花を、
店を磨いて、たくさんの人たちにとって
世界でいちばん好きな花屋 になれるように
精進していきたいと思います。
読んでいただきありがとうございました!
jardin du I'llony
谷口敦史