第8話 la possibilité
夜10時まで日が沈まず晴れの日が多い6月の代償のように、
冬は日も短く寒くほとんどの日が曇り空のパリ。
寒さとともにランジス市場の花たちの顔ぶれも変わってくる。
パリ近郊の生産者が持ちこんでいるブースが並ぶ一角も、
生命力が溢れていた季節から徐々に活気がなくなってくる。
ノエルのデコレーションに使われる赤やゴールドやシルバー、
最近はツリーにも白だけでなく赤やピンク、黄色などさまざまな色のパウダーが
吹き付けられたものがあちこちのブースに並んでいる。
こういう着色した自然な美しさではないものはアイロニーではほとんどつかわないので、
枝物の選択肢はどんどん減ってくる。
しかし、冬になると日本と同じように春の花が出回り始める。
ラナンキュラスやチューリップ、ヒヤシンスやムスカリなどなど、楽しくなってくる季節でもある。
モミのことはサパンというようだ。
日本でもよくみかけるオレゴンからの輸入のモミはランジス市場でもみかける。
シルバーがかったそれとはちょっと色が違うのが国産つまりフランス産のモミ。
フランス産のものは、日本のものと色は似ているが枝がとても柔らかく垂れ下がる。
素材の微妙な違いでデザインは大きく変わってくる。
日本と同じようにできないことよりも、
パリのアトリエでのレッスンには思っていた以上にたくさんのお客さんが来てくれた。
いままでのアイロニーの生徒さんだけでなく、
パリの花に興味のある人がパリ出店に挑戦している花屋の花を見てみようという方。
韓国で行ったデモンストレーションとレッスンの様子を雑誌でみたという韓国のフローリストも来てくれた。
どの人ともマンツーマンのレッスンで、じっくりいろんな苦手部分を聞いたり、仕事の経験談を話したり
日本とは違うレッスンのスタイルは逆にこちらが気づかせてもらえることも多かった。
そして、車をつかいはじめたので、この頃からパリ郊外にも足を伸ばし始めた。
バルビゾンやジヴェルニーなど、画家たちが愛した田舎の風景は今も残っていて、
車を一時間も走らせれば、その時代にダイムスリップするような感覚を味わうことができた。
花屋を始めた頃から意識していたことに、流行にアンテナを張りつつも
それよりも大事なことは自然の中にあると思って草木を見て感じることを大事にしてきた。
パリの人たちに喜んでもらえる花を束ねるには、パリの話題のスポットを巡ったり、
人気の花屋を巡ることよりも
フランスの田舎の自然の風景に触れるべきだと思っていた。
どこにいっても感じることは、自然の豊かさだった。
イネ科の植物をグラミネとよび、雑草のようなものも昨今は花材として流通している。
そういうものも、ここでは誰かが肥料をたっぷり与えたかのように所狭しと生い茂り
溢れるような生命力を感じさせる。
誰かが手をかけて育てているわけではない、
森に生えている木に甘い果実が見たことないくらいたくさんなっていたり。
環境のあった地域での自生植物のパワーというのは素晴らしいものがある。
ベルサイユ宮殿のような絢爛豪華な文化遺産というのは、
ひしひしと感じる。
こういう豊かさを背景にもった美しさの中にいると、
日本の限られたものの中で生まれた研ぎ澄まされた美しさというのが際立って美しくみえ、
日本の伝統文化の美しさをリスペクトしているフランス人が多いことがよくわかる。
だけどわれわれ日本の花屋の多くはパリの花に憧れ、
そしてアイロニーのそういう花でパリで勝負しようと思ってここに来ている。
結局のところ、こういうテイストが売れるからと狙ってすることはできないタチなので
今まで通りに自分を磨いていくしかない。
日本で仕事してきたのと同じ。花屋は人間力だ。
花の出来も仕事の出来も会社の出来も、自分を写す鏡。
そんなことを思いながら日々、パリの花に、パリでの花の仕事に向き合っていたころ、
ナターリア(物件オーナーの娘さんでジェロームたちの幼馴染)からメッセージがあった。
それは目を疑うような内容のものだった。
そこには、
フィリピン人との裁判が長引きそうなこと。
二つ隣の物件もマダムの持ち物だということ。
その物件は賃料は同じ額だが、営業権を前の借主が保有しているということ。
そして、ここからが何度も何度も見返したのだが、
もしあなたがその物件を見て気に入れば、
15万ユーロ(2000万円ほど)するその営業権を
マダムがおれのために買い取ってくれるというのだ。
すぐにコートを羽織って、ヴィクトルユーゴー広場を挟んだ反対側の物件のほうに走って行った。
ナターリアが言っている物件は空くのを待っていた物件より広場寄りの二つ隣で
チョコレート屋さんが入っていた物件だった。
内装はきれいで、いろいろなものをどけて什器をいれるだけで花屋ははじめられそうだった。
すぐにナターリアに連絡して、中を見せてもらうことに。
地下も20平米と十分な広さがあり、家賃は予定よりもいくぶん高いけど、
日本のクリエーターに貸し出しできるスペースとして使うというアイデアも形にできそうだった。
その場でマダムにお礼を言って、ここで始めたいと伝えた。
ついに!!店がはじめられる!!!
クレモンスから始まって、ジェローム、そしてナターリア、そしてナターリアのお母さん。
出会いがどんどんつながって、ここまでたどり着くことができた。
本当にありがたいことだけど、
人がちからになってくれることについて
どうしてこんなにも恵まれているのか。
答えにはなっていないけどパリに来て考え方がかわったことがある。
いろんなことに触れて、断片的ではあるがそれらがつながる気がした。
ちからになってくれたフランス人のうち、ジェロームとナターリアはアーティストだ。
ジェロームは服飾小物やアクセサリーからオブジェまで、
ナターリアは彫刻などを。
そして、二人ともものすごく裕福な家柄だ。
別の友人が教えてくれたんだが、
本物のアーティスト同士は争わない。というような言葉があるらしい。
彼らは、他者のゴールが自分のゴールであることを知っているからだと言う。
パリに来て感じたことに、
日本よりもアートが身近で、アートの価値が高い。
アーティストという人種も日本よりも多いように思う。
そして裕福な人たちほど、お金の価値をきちんと知っていて、
長い歴史からの経験で、或る日突然お金というものがなんの意味のないものになるということも考えている。
もっていないおれからするとやたらお金のことを考えて手に入れたいと思うけど、
もうすでにもっている人からすると、お金以上の価値を生み出すもの、
かわらない価値をもつもの、
そういうもののほうが価値があると考えているのではないかなと思った。
最初は、お金持ちは働かなくていいので、アーティストという生き方を選べる。
貧困の中、それしかできないからと絵を描いていたような人こそが
本物のアーティストのイメージみたいなのがあったけど、
それはなんだか違うんだなということを感じた。
よく言霊だ言霊と、叶えたいことは口に出したほうがいいと言っている。
そうすると誰かが力になってくれることもある。
これは大事なことだと思うけども、ただそうしていればいいというわけではない。
力の配分でいうと1パーセントも必要ない。
本当に大事なことは、
100パーセント心血を注ぐべきものは、
本当に価値のあるものを生み出すこと。
手を差し伸べてくれている人たちは
その可能性を感じてくれているからだ。
この地で本当に価値のあるものを生み出す必要がある。
à suivre...