第5話 Misérable.
第5話
Misérable.
お城でのウェディングの仕事から帰ったら残りの滞在期間中にもしかしたら契約が進むかもしれないと思っていた。
パリ進出で、ビザの取得手続きと契約書のチェックはサポートしてくれる会社を探して依頼していた。
その人たちにもマダムの弁護士から連絡があったらしく、話が進み始めたことを喜んでくれていた。
しかしここからが一番つらい時期だった。
7月、進展の連絡をまったが、結局なんの連絡もないまま滞在期間が終了。
来月にもちこしか。。と思ったがパリはほとんどの人たちが8月バカンスをとって働かない。
とくに弁護士同士が話し合いを進めるなんてことはあり得ない。
うちの物件の場合は、判事も関係してくるとかで
9月まで持ち越すことは決定的になった。
それでも、とにかく毎月20日間パリで過ごし続けた。市場の花を見ておきたかったし、
バカンス時期、未来のアイロニーパリ店の周りがどうなるのかも知っておきたかった。
とくに16区のいい地域というのはバカンス時期はみんなどこかに行ってしまうので、がらんともぬけの殻になる。
案の定、街はひっそりとしていた。
もし店が無事にスタートしたら、周りと同じように8月は閉めて日本で仕事をしたほうが良さそうだと思った。
市場も人たちももちろんほとんどのブースがバカンスに入って花は激減していた。
ますます夏にこちらでいい仕事をするのは難しそうだ。
市場の違い。
これも花屋が海外に進出するときの大きな問題のひとつだ。
よく日本の人たちは、フランスには日本にないような花がたくさんある。と思っている。
花の仕事をしている人でもそう思っている人が多い。
だけど、俺は日本の市場のほうがはるか品質の高いものが充実していると思っている。
もちろんフランスのほうがいいものもたくさんある。
けど一年を通じて、いろんな花を見ると日本のほうが種類も豊富だし
丁寧に大事に大事に育てられている。
同じかそれ以上のクオリティをパリでも保つにはそれなりの工夫が必要だ。
幸いパリのほうが優れている素材というのもたくさんある。
例えばアジサイなんかは、日本でもフランスでもオランダ産のものが流通している。
そして、同じオランダから流通してるものでも、フランスには地続きのためにバケツで水につかったままのものが流通していて
日本に入るオランダ産のアジサイは飛行機で飛んでくるため、一度水は切れてしまう。
そのため、鮮度が少し落ちるのと、もちろん輸送コストが高くなるので一本の売価も高くなる。
フランスでは日本の半分くらいの値段で品質のいいものが流通してるので、もちろん同じ値段で作れるブーケも違ってくる。
そして一番大きな違いは、生産者の直売ブースがあることだ。
暖かい時期限定ではあるが、フランス国内の生産者たちが、
自分たちで作った花や葉ものや枝ものを持ち込んで販売しているブースがたくさん登場する。
日本のようにセリにかかることがないので、規格にそろえる必要もなく、自由でのびのびと自然のままに育った素材がたくさん手に入る。
パリの花に違いがあるとするならば、こういった背景が考えらえる。
この特質をしっかり飲み込んだ上で、日本でしてきたアイロニーらしい花をパリでも展開できるようにしていきたい。
そして、日本のアイロニーももっと進化させていきたい。
違いをひとつひとつ知っていくと、プラスの要素、マイナスの要素がある。
しかし、この進出を成功させるには、マイナスの要素さえもプラスに変えていくような力が必要だ。
そんなことをひとつひとつ経験して噛み締めながら、じっと進展を待ち続けた。
どんなに困難でも目標があってそこに向かっていくというのは、あまり苦にならないのだが、
待つ。ということは本当に苦手らしい。
いまのうちにできることがあるだろうと何度も自分に言い聞かせたが、
裁判の判決もまったく想像がつかず、借りられない可能性はゼロではないという不安も抱えながら
ただただ早く前に進めたいという焦りだけが空回りして他のことにもあまり手をつけられずにいた。
案の定、8月はだれも連絡がとれず、皆バカンスを楽しんでいるようだった。
約束していた通り、嫁さんと息子をパリに呼んで、2週間ほど撮影の仕事をしながら家族で一緒に過ごした。
お城での結婚式の花を担当したときの花嫁のお母さんで、クレモンスのいとこでもあるヴェルジニが、
アツシ、家族が来るなら一緒にアヴィニヨンの別荘に遊びにいらっしゃいと呼んでくれていたんだけど、
ヴェルジニが急病に倒れて入院することになった。
幸いヴェルジニは無事だったんだけど、ポッカリ予定の空いた俺たちは予約していた列車をキャンセルして車を借りてモンサンミッシェルなどを旅してまわった。
5歳でパリデビューとは生意気なやつめと思いながらも、息子とそれほどゆっくり長い時間過ごせたことは彼が生まれてから一度もなかったのでパリのおかげでいい時間が持てたなと思えた。
9月。
やっとバカンスが開けてパリに人が戻って来る。
このときようやく相手の弁護士と連絡がついたとナターリアから連絡があった。
7月に彼らはもうすぐ出ていくといった弁護士は解任され、新しい弁護士に変わったということだった。
そして、しかも、なんと。
双方の弁護士、判事、それぞれのバカンスが終わって話し合いが始まるのは10月になりそうだと言い出した。。
おい。フランス。。。
パリに店を出すときにいろいろな人から、大変だよという話を聞いた。
例えばとある飲食店をオープンさせた人は、店舗を契約してから、工事してオープンするまでが予定より1年遅れたと言っていた。
役所仕事はものすごく待たされる上に、例えば数時間並んでいても昼休憩になったら、はいここまでー。という感じで休憩にはいったり、
とにかく日本では考えられないことがたくさんあるとみんなが口を揃えて言っていたので
それまでは何かあっても、まぁ外国なんだからそんなもんなんだろうと思っていた。
でも、この時間は本当にきつかった。
ただ待つしかなかった。
9月も同じように唯一の仕事である「パリであなたの花束を」(100名限定でそれぞれ依頼主をイメージしてブーケを束ねてパリで撮影をして、
プリントして額装したものと100冊限定で作成する写真集というパリ進出のための企画商品)の花の仕入れに行きブーケを束ねてパリの街を練り歩き撮影する。という日々。
そうこうしている間にひとつ問題が出てきた。
はっきりわかっていなかったおれが勉強不足だったのだが、
毎月20日間パリ10日間日本。このペースで滞在を続けてると、10月にはオーバーステイになってしまうということだった。
シェンゲン条約というものがあって、
フランスには、ビザなしで 180日のうちに90日は滞在できる。という決まりになっているらしい。
これは多くの人が、連続3ヶ月はビザなしで滞在できる。と思っていて、
途中で一回日本に帰ったり、どこかの国にでれば、連続ではないので、またリセットされると思っているようだった。
もちろん俺もそうだと思っていて、20日間の滞在を何回も繰り返すというのはなんの問題もないと思っていた。
だが数年前から、初めの入国から数えて180日の間に90日間以上は滞在してはいけないということになったようだった。
当初の予定では
物件契約→支社設立→支社代表としてビザ取得 という流れがスムーズということだったが
物件が契約できていないので、もちろん住所もなく支社は作れず、ビザも取れていない。
オーバーステイになると、今後ビザの取得は難しいので、気をつけてくださいね。と
サポートしてくれている会社から釘を刺された。
気分が滅入るので、リュクサンブール公園に時々バスケをしに行くようになった。
数年ぶりだったがさすがに20年もしていたので3オン3程度ならまだまだそれなりに出来たし、
フランス人はあまり大きくもないしうまくもなかった。
何回か行って、よく来ている連中に顔を覚えられて認められてきたころに、
ちょっとエキサイトして残念な40前のおじさんは肉離れを起こした。。。
トボトボと足を引きずりながら帰ったのだが、歩くのも困難なくらいだった。。
今はパリを歩いて撮影する仕事しかないのに、何やってんだ俺。。
このころは車もなく、仕入れもバスで行っていたので、致命的だった。
このころ市場で花屋友達のローズバッドのヴァンソンと会うと、アツシ今日もバス?乗ってかえるか?と言ってくれて時々パリまで乗せて帰ってくれてたんだけど
この時ばかりは、ヴァンソンに冗談交じりにこの悲惨な状況の泣き言を言っていた。
店もないし。仕事もないし。話せないし。車もないし。ビザもないし。歩けもしない!
ミゼラブルだ!と。笑。
ただ、どんなに思い通りにいかなくてもワクワクしている感情が心のどこかで消えることがなかった。
それは人が無理だと思っていることに挑戦していること。
それを成し遂げたときの快感をすでに思い描けている自分がいて、
ちょっとその自分を探せば、イライラはすぐに解決することができた。
取材などで、仕事で大切にしていることを尋ねられる機会が時々ある。
花屋にとって、一番大切なことは
自分をハッピーな状態に保つことだと答えているし、
スタッフたちに何かあるたびにそういう風に話す。
しかし、もっというと一番いいのは
自分の感情をコントロールできることだと思う。
花というのは心を表す鏡のような存在だ。
気持ちを明るくしてあげる花も必要だし、悲しみに寄り添う花も必要だ。
もし、自分が花に癒されようと思っているなら、その人は花を仕事にするべきではない。
それを必要としてる人のために、花にさらなる命を吹き込める人。
花屋はそういう人間でいる必要があると思っている。
そして、このときはそういうことをよく考えていた。
でもやっぱりしんどかったんだろうなぁ。
à suivre