春が来たからだろうか。
休日の朝、また例によって衝動に駆られ、電車に揺られること約一時間…
駅を降りて、京都タワーに見下ろされながら、担いできた自転車を組み直す。
鴨川を吹き抜ける風は、いつかの遠い過去の記憶へといざない、
春を飛び越えて、初夏の匂いを感じたような気がした。
あまりに遠く漠然としていて、何ひとつ思い出せなかったのだけれど、
ありゃ、きっと夏だったな…
先日、とある雑誌で興味深いコラムがあった。
その中では、人々にとっての「大切な場所」とは、
何も最初から“意味のある場所”が存在しているのではなく、
現在に至るまでの経緯や時間の流れ、出会えた人達との思い出が積み重なって、
少しずつかけがえのないものになっていくもので、
すなわち「大切な場所」とは、いわば“現実の空間”と“人の心”との
結び目に存在しているものだ、と表現されていた。
もっといえば、その“大切な思い”がまた積み重なっていって初めて、
ただの無機質な建造物の集合体である“街”が温もりを抱き、
血が通い出し、鼓動を始めるのではないだろうか。
例えばイギリスやフランスのような歴史や伝統のある国には、
そこに古くから暮らしている人たちによって培われた重厚な文化があって、
それだけで僕は、とても魅力的だと思う。
くたびれても毎日愛用している、バブアーのオイルドコートや、
自転車を芸術品の域にまで極めた、アレックスモールトンなど、
伝統に裏付けされた“逸品”は僕の心を捉えて離さない。
フランスについてケンの話を聞いていると、
外国人に対しては非情なほどに閉鎖的ともいえるフランスだけれど、
裏を返せばそうやって自国の文化が守られているという側面もあるのだと思う。
そして立派な伝統や文化がありながら、海外のものをなんでも取り入れてしまう、
日本という国はいかがなものかと思いながら、その中でも比較的独自の文化を保っている、
京都という町が、やはり閉鎖的であるということが興味深い。
この日は鴨川を北上して鞍馬まで。
いつ来ても、まるで昨日も来てたかのように温かく迎えてくれる雍州路の人達。
僕にとってここは、年に数回は必ず訪れる「大切な場所」のひとつだ。
この牛若丸と天狗の伝説のあるこの山は、僕の衝動を駆り立てる。
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